首長も喜ぶ
脱住基ネット裁判

2004.7.11 学習会の記録

編集/発行  住基ネット訴訟・西東京の会


■もくじ

はじめに                              2

1.この裁判の目的とかねらいとか                  3
住基ネット問題では、私たちは勝っている 3 /「おまかせ民主主義」はもうおしまい 4 /自治体を住民の手に取り戻す 4 /情勢的には勝っている。あとは完成させるだけ 5 /住基ネットがなくても、住民は誰も文句を言わない 5 /「首長も喜ぶ 脱住基ネット裁判」を印紙代1000円で 6 /自治体職員から「裁判やって勝ってね」と言われる 7 /自治体政策決定の要は、住民の継続する意思と正論 8

2.コンピュータ社会と人間の自由――みたいなことも考えていきたい  8
パソコンが普及して、情報の管理のしかたが変わった 8 /終生ついてまわる住民票コード 10 /コンピュータ社会と人間の自由 10 /万人のぞきカメラ 11 /監視カメラよりもずっと有効な犯罪対策も、工夫次第 12 /コンピュータを知らなくても、おかしいと言える 13 /総務省に提出された、総務省に対する痛烈な批判 13

3.たくさんの人で裁判を起こしたい                 15

Q&A 会場での質疑応答                      16
プライバシー権と人格権は、ひとつのものでは?              16
国や都道府県を訴えないのはなぜですか?                 16
最高裁まで行くことになるのでしょうか?                 17
住基カードが銀行で使えないのはなぜ?                  18
住基カードが郵便局でも使えないのはなぜ?                19
住基ネットを推進してる人たちの、本当の意図は?             20
地方自治情報センターってどんなところ?                 21
住民票コードの抹消は確認できないのでは?                21

まとめ                               23


発行●住基ネット訴訟・西東京の会     2004.8.5



■はじめに......これはチャンスだ!

 住基ネット1次稼働後1カ月の2002年9月初め、西東京市民60名分の「コード番号通知票」を市役所に集団返却したのが、私たちの運動の具体的な第一歩でした。市民18名が市役所を訪れて通知票のハガキを助役に手渡すとともに、市長宛に「本人の承諾なく個人情報を外部提供するな」をはじめとする4項目の「申し入れ書」を提出したのです。
 もちろんそれに先だって駅頭でのビラまきや個人での質問書提出などの活動は始まっていたのですが、多くの市民の共同の意思のあらわれとしての行政との間でのやりとりは、この返納と申し入れが最初のものでした。以後私たちは、597名によるコード付番への異議申し立て、市の棄却決定に対して都への審査請求へと進み、今年5月、ついに裁判の場へと進むことになったのです。なるべくたくさんの人が少ない負担で参加できるようにと、取り消し訴訟と損害賠償請求訴訟という2本立てのユニークな戦術が採られることになりました。
 
 そもそも住基ネットの導入が決定されたのは、ご承知のように1999年の住民基本台帳法改正によるものですが、このときの国会にはほかにも山のような問題法案が目白押しで、正直言って住基ネットに対する私の警戒感はそれほどセンシティブには発動しなかったのです。しかしまあ、実際のところ「ナントカ法」に反対だ「カントカ法」に反対だとか言っても、一市民が個人で具体的にとれるアクションというのは限られるわけで、すくなくとも「反対だ!」という意思表示を示し続けていくしかない、という現状もあります。ところが住基ネットは、私たち個々人がすべて例外なく当事者であるのです。行政による「処分」が日本国籍をもつ私たちの身に例外なく降り注いできた。これはもう「関係ない」とか「まあいいか」と言ってられる事態ではない......という以上に、当事者として行政との間で公式にやりとりをするルートが開かれているということでもあるんですね。これはチャンスだ! 今回は裁判という形になりましたが、これは決して行政と対決して打ち負かそう、というものではありません。むしろ、行政と市民が公の場できちんと理詰めで話し合いを進めていく機会としてこの裁判を位置づけ、実り豊かな対話が双方にとって幸福な結果をもたらすことを、私たちは心ひそかに期待しているのです。
樋口大貳(住基ネット訴訟・西東京の会代表、差し止め訴訟・国賠訴訟原告)

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■1.この裁判の目的とかねらいとか

 住基ネット問題では、私たちは勝っている

 皆さんこんにちは。清水です。今、西東京の会の代表の方からあいさつがありましたが、聞いているとなんか元気のないあいさつですね。みなさん誤解をされていませんか? 住基ネット問題では、私たち国民は国(総務省)にかなり勝っているんですよ!

 総務省は昨年8月、1年間で住基カードを三百何十万枚売るぞ、と売り上げ目標を立てたんです。その前はもっとずっと高い目標を立てていました。1000円も出してそんな使いものにならないカードの交付を受けようとする人なんかほとんどいないと私たちがキャンペーンしたら、数を落としてきて300万枚とか言い出した。それが実際にはいくらですか? つい1週間くらい前の毎日新聞トップに出ていましたが、たったの25万枚じゃないですか。
 日本の人口を考えてください。日本に住んでいる人の9割以上は、日本国籍のある、住民登録をしている人じゃないですか。そのうちの25万人ですよ。国が総力をあげて全国の自治体に売らせたのがこの数です。どっちが勝っていますか? どう見たって私たちの勝ちじゃないですか。

 もしもこういう運動とか異議申し立てとか裁判とかをやっていなかったら、「じゃ、私も身分証明書がわりにもらおうかしら」という人、いっぱい出ていたと思います。
 そういう雰囲気をつくらせなかったのは、皆さんが近所の人たちに「あれ、おかしいよね」とひとこと言うものだから、「そう言われてみりゃそうだよね」というのが広がって、役所も勧められなくなってしまった。市役所に行ったときに「住基カードいかがですか」と勧められた人いますか。いないでしょう。
 それをやらないのは、住民の側からいろいろ言われるというのが大きいのです。
 「おまかせ民主主義」はもうおしまい

 西東京市に限らずどこの役所・役場に行っても、今までなら住民から、「うちの町や村に住基ネットはいらない」とか、「カードなんかおかしい」とか、そんなことを言われることはなかったと言うんです。町や村の人間が、じいちゃんばあちゃん、おやじや何やら、今まで「これおかしい」なんて言ったことがない人たちが言ってきている。それを5人でも10人でも言われると、役場にとってはショックなんです。しかもそれが全国で起こってしまった。
 戦前戦後を含めて、いわゆる民主主義と言われてきましたが、私に言わせれば「おまかせ民主主義」です。おまかせ民主主義の住民は、おまかせだから、自分から意見は言わないんです。自分に不都合があったときだけ文句を言う。そういうおまかせ民主主義だった人たちが、「この制度はおかしい」と言い出した。文句言ったからって自分ひとりが得する問題じゃない。国の政策、自治体の政策に対して、自分個人の利害だけでなく、それを超えて「おかしい」と言う人が出てきた。おまかせ民主主義社会では起こり得なかった戦後初めての現象です。
 まあ、住基カードが500万枚とか1000万枚とか発行されていたら、「今さら何を住基ネット反対なんて言ってるのよ」となりがちですが、おそらく圧倒的多数の人は、
「住基ネットってなに? まだあるの?」という感じですよ。今これからやろうとしていることは、住基ネットを完全に叩きつぶすという作業です。

 自治体を住民の手に取り戻す

 とはいっても、住基ネットをただ叩きつぶすだけが目的ではありません。「自治体というのは誰のために仕事をするの?」、「自治体というのは住民のために仕事をするんじゃないの?」という観点から、住基ネットをはじめとして「住民といっしょに考えながら政策決定をしていきましょうよ」、「住基ネットについてよくよく考えてごらん、こんなに問題があるのでしょう? あなたもそう思いませんか? だったらやめましょうよ」という、自治体との合意形成をやってしまおうということです。
 裁判ですから、もちろん原告、被告ということで席は両側に対立して座ることになります。従来の行政相手の裁判というのは、まさに行政に恨みつらみとかいろいろあって、「権力と闘うんだ」というシチュエーションが普通だったのですが、この裁判はそうではありません。
 自治体を住民の手に取り戻す、自治体を住民のために仕事をする仕組みにしてしまおうというものです。
 戦後民主主義──タテマエの民主主義、おまかせ民主主義ではなくて、いいも悪いも自分たち住民が実情を見て、政策決定にかかわっていく。主体性を持った住民が民主主義の主権者ですから、その基礎づくりをこの住基ネット裁判でやろうではないかということです。

 情勢的には勝っている。あとは完成させるだけ

 そのスタートについて言えば、すでにわれわれ、客観的にはもう勝っている。情勢的には勝ってしまっている。あとは完成をさせていく。完成をさせていくものとして、「住基ネットやめよう」ということを市長や議会で議論をしてそういう政策決定をさせていく。さらに、そういう自治体があちらこちらに出てきて法律を廃止させるというところまでできれば、完璧です。でも、そこまでいかなくても、実はもうすでに勝っているのだから、「こんなムダなことはやめろ、今どきカネ余りでもないのに、ほとんど使われない制度をよく議会が通すわね」という議論が各地で行われるようになればいいんです。費用対効果のバランスは完全に崩れているんですから。

 住基ネットがなくても、住民は誰も文句を言わない

 住基ネットのことを考える上で、コンピュータのことを詳しく知る必要はないと、以前から私はお話ししてきました。専門的知識なんてまったく必要ありません。ほんとにそれを使いたくなった人が、「これぐらいの費用なんだけど、どんなことまでできる?」ということを、専門家と相談すればいい。でも、「なんだかわからないけど決められたからやりましょうね」ということでやることではない。なんだかわからないときにはやらなきゃいいんです。
 たとえば個人のレベルで考えれば、ここにいるみんなが、コンピュータをそれぞれ1台ずつ買ってきてネットワークをつくれと言われたら、「いや、私はいいよ」という人がいたっていいわけです。自治体だって同じです。それを国のほうで全国一律にやれと言うからおかしくなる。
 特に、小さな町や村に行くとほとんど悲惨です。県や国の言いなりになっているしかうちら生きる道がないんですよ......みたいな。過疎の土地では、人はとにかく出ていくばかり。仮に、どこからか村に人が来たとしたって、ごくわずかの人のために年間何百万、場合によったら何千万も出さなきゃいけないという仕組みを自前でつくりたいと思う町や村が、どこにあるかということですよ。  いったいこのどこに、日本の民主主義があるのか、自治があるのかと、疑問に思います。

 地方交付税にしたって、交付基準は客観的に決まっているから、総務省が特定の自治体を意図的に外すことはできないし、補助金についても、当然、ある町、ある村だけを特に切るということはできないわけです。だから、福島県の矢祭町みたいに「合併しないで独立独歩で行く、住基ネットはやらない」と言ったって、あの町はぜんぜん困っていません。「住民も誰も文句を言ってこないので、住基ネットのことなんか忘れています」というくらいで、それが実状です。
 自治体がちょっと覚悟を決めさえすれば、矢祭町と同じことができる。国立市もある。横浜市だって、状況さえやめるという方向に変わっていってくれれば、全面的にやめるという方向になっていく。

 「首長も喜ぶ脱住基ネット裁判」を印紙代1000円で

 この裁判は誰のためにやるのかと考えたときに、まずもちろん、自分たち住民のためだけど、自治体もほんとは喜ぶ内容だね、という話になってきまして、「首長も喜ぶ 脱住基ネット裁判」――そんな感じの呼び方のほうが、この裁判にはにあうかな、という話をみなさんとしました。
 こちらは決しておちゃらけでそういうネーミングをしようと言っているのではなくて、実際に西東京市で意見陳述をしたときも、いっしょにいた方は覚えているかと思いますが、補佐人として私や西邑(亨)さんが話をしているときの市の職員の態度。みんなうなずいているのです。
 普通なら私や西邑さんは「この詐欺師どもめ、西東京市の市民を巻き込みやがって」とにらまれるわけです。ところが、彼らはうなずいているんです。「うんうん、そうなんだよな」とうなずいている。
 にもかかわらず、結論としては却下にしたり、棄却にしたり――ここにゆがみがあるわけです。
 自治体の職員が正しいと思う行政ができるようにする――そういう裁判だと位置づけたらどうでしょうか。
 とはいっても、平場ではなかなか突っ込んだ話はできないので、裁判という形をとる。そこで、住民にいらない番号を押しつけたことへの怒りと不安――ということで、慰謝料請求という形にしました。
 請求額をどれくらいにするか、そのときの印紙代はどうなるのかという話もしたわけですが、慰謝料10万円なら印紙代は1000円です。これだったらいろんな人が原告になれるねというふうに、われわれ弁護士のほうで考えました。
 年金生活をしている人とか、若い夫婦で子どもが小さい、子どもも原告にしたい、あるいは高校生、大学生、さらには中学生ぐらいでも原告になりたいという人はなれるように......ということを考えたときには、1000円という金額であれば、ちょっと苦しいかもしれないけれども、とうてい手の届かないところではないのではないかということで、印紙代1000円ということでやってはどうかということにしたわけです。

 自治体職員から「裁判やって勝ってね」と言われる

 私が情報公開の裁判とか審査委員をしていて思うのは、役所の人たちも「これは公開したほうがいい」と思いながら、今まで見せていなかったものを見せるというのは上司がなかなか「うん」と言わない、ということがあるということです。そんなとき「裁判をやって勝ってください」と役所の若い人から言われることがあります。
 日本の行政は、下が上を説得する、つまり論理で相手を説得するという仕組みになっていなくて、国でも県でも市町村でも、下の者は上の言いなりになるという構造が続いています。現場の人は市民と直接顔を合わせる関係にあるから、相手から、「これおかしいじゃないか」と言われると、うん、そうだと思いながらも、処分としては非公開と書かざるを得ない。「裁判でさっさと負けてくれれば変えられるんですよ」ということがあるんですね。

 情報公開の裁判に勝つことで現場がどう変わるかといえば、今まで住民に見せなかったものを見せる。その結果同じ情報を見ながら、住民と自治体が自治体の運営のしかたについて議論できるようになる、という関係を創ってきているわけです。
 役所の人ばかりにまかせないで、住民もちゃんと情報を見て、同じ資料をもとにして、ちゃんと言うべきことは言う。自分の好き勝手なことばかり言うのではなくて、客観的なデータを見ながら自治体と対等に情報を持ちながら主権者として責任ある発言をしていったらどうですかというスタンスで、情報公開の裁判をやっているんです。
 そうすると、今までの変な裏取引のようなものがやりにくくなるということがあります。裏取引みたいなことがあると、ものごとが決まっていくときに、行政文書のどこかでゆがみがでてきます。情報公開することによってそのゆがみが出ちゃうので、ゆがみが出ないようにするためには、ゆがみがそもそもないような行政運営をしなければいけない。「こんなことをやると、情報公開されてあとで困るんですよ。業者の名前も出ちゃうんですよ」という弁解ができる。
 これは非常に便利だということを、宮城県の浅野(史郎)知事も言っていました。

 自治体政策決定の要は、住民の継続する意思と正論

 今回、これから始めようとしている住基ネットの裁判にしても、自治体が一生懸命やりたがっていることを妨害してやめさせようとするのだとすると、けっこう難しいです。でも住基ネットについては、何かのきっかけがあればやめたいと思っているということは明々白々です。都内のどこの市とは言いませんが、国立市の市長以外にも、住民が声をあげてくれればやめるきっかけにしたいと言っている市長はいます。
 基礎自治体の政策決定のかなめは、結局は、住民の継続的な意思と正論です。請求している側の個人的な利害が深くかかわっていて利権を奪うとか不利益を押しつけるという関係のものだと、行政の公平性ということを言い出します。しかし住基ネットに関する限りは、市町村はやりたくないことがはっきりわかっているので、あとは住民の側から「住民がうるさいのでこのままやっていられませんよ」という状況にしてあげることが、やめるきっかけになっていくのだと思います。
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■2.コンピュータ社会と人間の自由 ――みたいなことも考えていきたい

 パソコンが普及して、情報の管理のしかたが変わった

 最近聞いた話ですが、ある病院では、医者が問診しているそばで誰かがそのやりとりをコンピュータに入力をしていたそうです。ところが、どうみてもその人は医者には見えないし、看護師にも見えない。「この人誰ですか?」「コンピュータの業者さんです」......ということなのだそうです。
 そこでその人は、「私はお医者さんに説明しているにもかかわらず、そのデータを扱っているのが病院以外の人なんですか? しかも私の話を直接聞いているのっておかしいじゃないですか」と言ったけれども、医者から「何が問題なんですか?」と言われてしまったというんですね。

 個人情報の扱いについて「今までのやり方」を続けることを、「何が問題なんですか?」と考えているのは、決して行政だけではありません。弁護士も医者もあらゆる業種の人がそう考えています。でも、今までとどこが違うかというと、コンピュータ(パソコン)で情報管理をする場面が非常に多くなってきてしまっていて、誰がアクセスするにも便利になってしまっているということです。
 たとえばすぐそばで事務員が聞いていてメモをとるとします。紙にメモをとっている分には、とったものを私がもらって、それを引き出しに入れてカギかけられる状態になっていれば、メモをとった人は頭の中には多少残っているかもしれないけれども、正確なことが頭に残っているわけではない。しかし、そばでコンピュータに情報を入れている人がいるとすると、私が聞いて扱う情報であるにもかかわらず、この人も扱えるわけです。しかもその人が外部の業者だとすると、どうでしょうか。
 情報の管理のしかたがぜんぜん変わってしまったというのは、人間に番号をつけるということもそうです。以前、国民総背番号制といって納税者番号をつけたときには、いったん制度はできたけれども、つぶれました。あのときは、番号で管理したいという欲望はあったけれども、技術的な問題として管理しきれない、不可能だったんです。でも、今は可能になってしまっている。
 しかも管理するのは、法律上は市長だとか知事だとか各省庁の大臣ですが、市長も知事も大臣もコンピュータのことなんか何も知らない。触ってもいない。コンピュータというのは、命令権者が情報を把握するのではなくて、実際に扱っている人間(担当者など)が情報を把握する道具なんです。だから担当者に不正があっても、問題が発覚しない限りわからない。そこがすごく大きな問題なんです。
 そうすると、今までの情報の管理と違って、どこまで集めていいのか、どういう番号のつけ方をすればいいのかなどは、実際に担当者がいて、情報を集めて、利用している、個々の自治体がそれぞれ意識的に考えなければいけなくなっているわけです。国に言われて一律的にこういう管理のしかたをすればいいというのは、コンピュータの世界では最低最悪です。

 終生ついてまわる住民票コード

 よく言われるのですが、従来だっていくらでも整理番号みたいなものをつけているじゃないかと感じている人は少なくないと思います。だけど考えてみてください。整理番号は生まれてきたときにはつかないんです。今は、赤ん坊が生まれて住民登録するとすぐに、「おたくの○○ちゃんの住民票コードはこれですよ」と通知が来ちゃうわけです。その子どもがまだ何を始めるわけでもないのに一方的につける番号です。しかも終生変わらない番号です。
 たとえ番号を変えたとしても、本人の気分転換になるだけで、情報管理としては初めの番号を使い続けるのと何も変わらないようになっているのが、住民票コードなんですね。
 そういう情報の管理のしかたを、国の行政レベルにおいて制度として完成してしまいました。また都道府県レベルでも市町村レベルでも、条例をつくりさえすれば住民票コードを使ってかまわないことになっているので、誰かの情報を検索したいとなったときに、極端に言えば、その人の名前も住所も生年月日も知っている必要はなくて、あそこで見たあの人の11桁の番号が何番ということがわかりさえすれば検索可能になってしまうということです。
 個々ばらばらに見る分にはどうということない情報でも、それがつながっていったときに問題が起きてきます。たとえば公立病院のことを考えれば、医療情報だって住民票コードで管理するようになる方向性は十分ありえます。
 個々の医者が自分の便利で使う、あるいは自分の病院の中で使うという分には、コンピュータを使って情報を管理することは増えているでしょう。でも今ではさすがに、この情報を外にまで出すことに関して、そう気軽に考える医者ばかりではなくて、慎重に考える人も相当いるだろうと思います。
 そう考えてみると、かたや医療の分野で使えればその利用価値は高まると思われますが、もう一方でその利用度が高まってくるとなると危険だということもあって、実際問題として、住民票コードの利用はそう直線的には進んでいかないだろうと思います。

 コンピュータ社会と人間の自由

 だからわれわれが考えなければいけないことは、単に住基ネット・住基カードさえなくなればプライバシーはだいじょうぶというのではなくて、そういったコンピュータだとか、住基カードとは別のICカード――たとえばJRが発行しているSuica(スイカ)カードのようなものについて、われわれがどういうふうにつき合っていくかを考えなければいけません。あるいは監視カメラ──防犯カメラという言い方もしますが、そういうものが安全性の名においてあっちこっちに立っていくことがいいのかどうかということも考えなければいけない。「コンピュータ社会と人間の自由」みたいなものを普遍的なテーマとして考えていかないといけないのだと思います。
 住基ネット、住基カードは今かなりつぶせてきています。制度としてはあと2〜3年もすればかなり完璧につぶせるかなと思います。しかしその間に、それ以上にパワーアップしたやつがほかに出てきてのさばっていたのでは意味がない。かといって、それは強制という形では登場してきません。安全とか便利とかそういう名前でやってくるので、かなり注意が必要です。
 多少不便でもいい、危険については自分で回避するからいいとか、そういうふうに主体的にかかわっていかないとまずいのではないかと思います。

 万人のぞきカメラ

 「防犯カメラ」という言い方は、実はかなりウソがあります。防犯カメラという以上は、防犯しかできないカメラでないと防犯カメラと言ってはいけません。犯罪の場面しか映らないとか、犯罪をやろうとしたところしか映らないとかいうのであれば、まさしく防犯カメラですが、街に設置されているのはそういうものではありません。
 99.9%以上が罪を犯さない人であるにもかかわらず、犯罪者と同じように半永久的に記録してしまうわけですから、防犯カメラではなくて、「万人監視カメラ」です。もっと正確に言うと、「万人のぞきカメラ」です。
 監視というのはごくごく一部の特定の地位のある人だけがほかの圧倒的多数の人をずっと上から見続けることだと思いますが、これはそうではない。特定の地位にある人がそれを見ることができるのではなくて、実際に現場で管理する人なら誰でも見ることができる。管理者からデータをもらった人であれば、誰でも見ることができる。ですから、防犯カメラと言われるものが設置されているところに毎日同じような時刻に特定の女性が通るとかいった場合に、そのカメラを追っていくと、彼女がどこによく行くのか、どこら辺りに住んでいるのかというのを知ることができるわけです。別に実際にストーカーしていなくても、カメラの上でストーカーができるわけです。自分でやるのはめんどうというのであれば、たとえばモニターの前にいる人に、お金を積めばいいわけですね。

 監視カメラよりずっと有効な犯罪対策も、工夫次第

 イギリスのロンドンは監視カメラの世界最先端で、町のあっちこっちに設置されています。ではロンドンでは犯罪が減ったかというと、減っていないんです。ただ、変化は生じました。まずは、カメラを設置していないところで犯罪が多くなった。その次に、設置されているところでも、帽子を目深にかぶって顔が見えないようにするとか、強盗が多かったものがスリに変わった。......結局、ロンドンは失敗したわけです。これは「NHKスペシャル」で1ヵ月ほど前に放映していたことです。
 そのときに、ロンドンとの対比で紹介されていたのが、ロサンゼルスの犯罪対策でした。こちらは監視カメラを使わないやり方です。ロサンゼルスではまったく違うやり方で犯罪を防ぐ方法として成果をあげました。
 どんなことをしたのか?
 何月何日何時ごろにどこでどういう犯罪が起こったかをぜんぶコンピュータに入力していって、マップにする。しかもそれを、誰もがインターネットで検索することができるようにしたんです。私も事務所から見てみました。
 これには使い道が2つあります。1つは警察による利用です。犯罪がまちがいなくこの地域でこの時間帯に繰り返し起こるというときに、警察官をそこに投入する。それを1週間、10日と続ける。この地域で犯罪をしようとするとすぐ捕まっちゃうよと、犯罪者に警告をするわけです。
 もう1つは、観光客でも誰でもそれを見ることができるので、ある時間帯はそこは通らないほうがいいという警告になります。被害者はそこに接近しない、警察官を集中的に投入するということで、犯罪率が何割も下がっていく。
 で、このとき作られたマップには、もう1種類のものがあるんですね。それはゴミ放置のマップです。ロサンゼルスでは、ゴミ放置のマップと犯罪発生率のマップは重なっていたんです。だから、町をきれいにしていく。警察と地元の住民で町をきれいにし、犯罪が多発する時間帯に集中的に警察官が行くということで、何割も犯罪を少なくした。
 これはアナログ的で人間的な情報利用のやり方です。確かにコンピュータを使ってはいるけれど、コンピュータにまかせきり、カメラにまかせきりというのではない。観光客もそのマップを見ることができるようにすることによって、あの時間帯はあそこに行かないほうがいいということを事前にチェックすることができ、犯罪率を下げることができます。誰も監視していないにもかかわらず、そういうことができるわけです。

 そうすると、コンピュータ社会はおよそマイナスというのではなくて、われわれがどう使いこなしていくかがだいじであるわけですね。今、典型的な2つの例をお話ししましたが、それぞれの地域でこの便利なもの、コンピュータをどう使っていくかは、自分たちで決めればよいわけです。ぐあいが悪そうであったらどんどん変えていけばいいし、変えていくためには、あまり最初からすごいカネをかけるのではなくて、少ない予算でこんなところからやったらどうかな、ということで始めればいい。そうすれば、コンピュータ万能主義でもなければ、コンピュータ敵視というのでもなく、コンピュータを使いこなしていく社会になっていくのではないかと思います。

 コンピュータを知らなくても、おかしいと言える

 話を住基ネットに戻しましょう。
 住基ネットについては、最初のうち、セキュリティの問題とか何とかということでわれわれ日弁連でも議論をしていたんですが、進めていくうちに、これはそんなレベルの高い専門的な話ではなくて、日本の民主主義のありようの問題、日本の自治体の財政運営の問題なんだ、というところにたどり着きました。コンピュータのことに詳しくなくても、住基ネット問題はかなりやれるんだよ――ということがわかってきたんですね。
 日弁連の情報問題対策委員会でも、委員が100人前後いるものですから、問題関心レベルはさまざまで、コンピュータに詳しい人ばかりではありません。吉田柳太郎さんや伊藤穰一さんなどのコンピュータに詳しい人たちも、「詳しい部分はうちらがやるからいい。住基ネットはそんなレベルの高いことじゃないから、もっとガンガン問題にしていいんじゃないか。コンピュータのことを知らなくても堂々とこれはおかしいと言えるんだよ」と言っていました。確かにそうなんです。

 総務省に提出された、総務省に対する痛烈な批判

 伊藤穰一さんなどが総務省に頼まれて最近つくったレポートに、『住民のプライバシー保護に関する新しい考え方と電子自治体におけるシステム的な担保の仕組みについての研究会報告書』(注)というものがあるんですが、中身は、総務省のためにというものではないんですね。
 この中には、「我が国の地方公共団体におけるプライバシー保護の現状」というアンケート調査の報告があって、次の章のカナダにおける「プライバシー影響評価手法の調査・検討」と比較できるようになっています。そのあと「プライバシー強化技術の調査検討」ということも書いています。これは、総務省が進めている住基ネットにとって都合がいいとか、そういう次元のレポートではないです。
 これを読んでいただくと、いかに総務省や自治体が住基ネットについて何も考えないでやっていたかということがよくわかります。こういうレポートはどっちに有利とか不利とかいう問題ではなくて、かなり専門的な立場からきっちり調べて書いている内容なので、これから少しずつ皆さんとこういった中身を共有しながら、多少時間をかけてもわかるところから読んでいくと、共通の理解になっていきます。

 まちがいなく自治体の現場の担当職員は住基ネットを早くやめたいと思っている。議員、首長はそのことに気づいていない。都道府県レベルになると住基ネットの実運用に関与していないので、都道府県もわかっていません。総務省についても、実際には地方自治情報センターに丸投げしてしまっているのでよくわかってない。ただ「やれ、やれ」と旗を振っている――そういう非常に無責任な仕組みになっています。
 こうした実情を考えると、このレポートに提起されている内容は、総務省に対する痛烈な批判になっています。総務省の今の電子政府・電子自治体がいいなどということはぜんぜん書いていない。それを総務省の報告書として書く。従来ならこういう報告書では、政府が喜ぶような、政府の言いなりになるような報告が出がちでした。しかし、特に電子政府・電子自治体、インターネットの世界だと、外国に比べて日本があまりにもレベルの低い報告書を出しているようでは話にならないわけです。
 アメリカとかヨーロッパでは運動があっちこっちで起こっているから、日本の住基ネットのような、国民ぜんぶに番号をつけて自治体に管理をさせるといったあぶない仕組みはつくれません。技術の問題からすればアメリカにはもっと早くできたし、ヨーロッパでもできた国はあるはずです。イギリスだって、地域限定すればかなりできたはずなのに、それをやっていない。技術的な問題、プライバシーの問題は世界的に普遍性を持っていることなので、どこでどういう問題が起こっているかがお互いに情報交換できると、そうそうむやみやたらと一部の人間の強引な政策展開はできないという状況が生まれます。今後、皆さんとこのレポートを読む機会が持てればいいなと思います。

注:この研究会レポートは、総務省のホームページで公開されています。
http://www.soumu.go.jp/kokusai/jyumin_p.html
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■3.たくさんの人で裁判を起こしたい

 話はあっちこっちに飛びましたが、住基ネットの裁判については、8月5日に提訴をしようということで提案をしています。ご承知のとおり、2年前に住基ネットの第1次稼働が始まった日で、法律上は住民票コードをつけられたのはこの日だということになっています。どうせ裁判をやるのであれば、この前後という中途半端なところよりも、アピールするために8月5日に、できるだけたくさんの人で裁判を起こそうではないかと思っています。
 8月5日にかなりの人数で提訴ということになれば、全国的にアピールする機会になりますし、内容がかなり変わっている裁判なので、私はここのグループだけでなくて、よその自治体でも、本人訴訟でも、弁護士のいないところでも、こういう裁判を同じようにやってみたいという人が出てくるんじゃないかなと期待をします。自治体といっしょになって住基ネット廃止に追い込む――今ほとんど断末魔のもだえというか、「死に体」になっている住基ネットを完全に灰にするという状況がつくれるのではないかと思っています。

清水勉弁護士……日弁連情報問題対策委員会副委員長。著書に『「住基ネット」とは何か?』(櫻井よしこ、伊藤穰一と共著 明石書店)など。





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■会場での質疑応答

*特に表示されているものを除き、回答は清水弁護士

Q.プライバシー権と人格権は、ひとつのものでは?
 訴状の中で「プライバシー権」と「人格権」を分けていますが、これは憲法13条にもとづくひとつの権利だと思っていました。ふたつに分けてあるのはなぜですか?

A.「プライバシー権」ということばが日本国憲法にはなくて、「人格権」については憲法13条の「個人の尊厳」ということで認められているわけです。まあ、どっちでもいいと言えばどっちでもいいのですが、訴状の中で「プライバシー権」と「人格権」を書き分けたのは、内容がちょっと違うかなと考えているためです。
 整理番号を人間につけること自体の問題性が個人の尊厳という「人格権」の問題だとすれば、整理番号が使われることの危険性というのは、人格権の侵害であると言うよりも、「プライバシーの侵害」を非常にともないやすい──そのように分けた立論をするほうがわかりやすいと考えたわけです。番号をつけられること自体の問題性と、それがいろんな場面で使われていくことの問題性ですね。だからいっしょにしてしまってもかまわないとは思っています。


Q.国や都道府県を訴えないのはなぜですか?
 全国で行われている住基ネット差し止め訴訟のホームページを見ると、差し止め訴訟は「損害賠償を都道府県と(財)地方自治情報センター、国に対して求める」もので、「市区町村には求めません」としています。ところが西東京市のこの訴訟では、被告は市だけで、東京都や国を被告としていません。それはなぜですか?

A.実は、もともと住基ネット差し止め訴訟で「基礎自治体は訴えない方がいいのではないか」と言い出したのは私です。というのは、住基ネット差し止め訴訟を起こした時期は、市町村が「何とかしてくれ」と言っていた時期なんですね。日弁連とか私がやってる国民共通番号制に反対する会とかで、市町村から「何とかやめられないものか」という相談を受けていた時期だったもので、市町村を被告にする訴状はなかなか書きにくかったのです。また、都道府県や国を揺り動かして制度をやめさせていくというもののほうが、日本の権力構造には合うのかな、という判断もありました。
 でも、それから約2年経ってみて、「市町村の気持ちはよーくわかった。私たちと同じ気持ちなんだな!」という確認の裁判ができないかと思ったのです。そこでは国民と市町村とは敵対ではないのです。
 2年前に市町村まで差し止め訴訟の被告にしちゃうと、市町村も国や県と同じ側に取り込まれちゃって、主張も同じになってしまったでしょう。でもこの裁判では、逆に、市だけを相手にしています。だから国がどう答えるかとか東京都がどう答えるかじゃないのです。こちらは、市がどう答えるかというところだけを聞きたいのです。そうすると、「住基ネットなんか本当はいらない」と正直に出てくるんじゃないかと思います。
 この訴訟は市長の行為によって精神的苦痛を受けたということでの損害賠償請求ですが、訴訟の目的は、「市とわれわれ住民は同じ考えなんだよね」ということを裁判の過程で確認していきたい、ということですから、これはこのスタイルでいいのかな、と思っています。


Q.最高裁まで行くことになるのでしょうか?
 この裁判の展開・見通しを、弁護団としてどのように考えておられるのでしょうか? 憲法判断になると最高裁まで行くことも多いわけですが......。

A.裁判の展開は、それぞれ裁判の当事者(原告本人)がそこに何を求めるかによるのですね。弁護士はしょせん代理人であって、本人が望まないことをやることはできないわけです。
 この、市を相手とする損害賠償請求訴訟については、何を目標とするかを私のほうから提案させていただいているわけですが、それは、この前の打ち合わせでみなさんのご意見を聞いていて考えたことで、私個人の考えではありません
 ふつう、弁護士の仕事ってそういうものじゃないかと思います。
 だから1審判決がどうなったらそのあと高裁に控訴するのかとか、憲法上の論点があるから最高裁までやるのかと聞かれても、それは何とも言えませんよね。裁判やってる最中に市のほうから、「そうなんだよね。こんな裁判なんかやらないで廃止運動をやろうよ」みたいなことを言い出したら、それで目的達成と考えて裁判をやめるということもあり得るでしょう。地裁で負けたから高裁で勝つ、憲法上の論点があるから最高裁まで行く......そういう、なんか意地でやる裁判とはまったく異質ではないかなぁと、そういうつもりでお話をさせていただいてきたんですが、いかがでしょうか。
 何でもかんでも自治体におまかせしておくのじゃなくて、悪い法律については住民といっしょに廃止運動をしましょうよ、という関係をつくるという展望ですね。従来は、廃止運動みたいなものは住民だけ、国民だけがやるけれど、自治体は中立を装いながら唯々諾々と法律に従っていたわけです。廃止になれば廃止になったで、それでいいですよ――自治体はそういう立場だったわけですね。それをこの裁判では大転換させて、住民がおかしいと思うものについては、自治体にもいっしょに行動してもらう、という関係を西東京市でつくりたい。
 だから、住民のほうの意識改革もすごく重要なだけに、たいへんといえばたいへんなんです。だけど実際問題とすれば、西東京市の住民の0.1%、あるいは0.01%でもいいのですが、その人たちが主体的な住民になっていくならば、西東京市の行政はまったく変わりますよ。
 この訴訟が、そういう導火線みたいなものになれたらすごい。あちこちでこうした裁判を通して自治体と住民が行政問題を考えていく――ということをねらっていきたいと思います。


Q.住基カードが銀行で使えないのはなぜ?
 銀行で新しい口座をつくるときに、「本人である証明」を持ってこいと言われますが、使える書類の一覧の中には「住基カード」は入っていません。これがとても不思議なんですが......?

A.身分証明の方法として住基カードが使えますということがあちこちに書いてあると、それだったら持っていたほうが便利だと思う人が増えますが、そういうふうに書いてあるところは少ないんですね。銀行もやっていない。銀行はちょっと失敗したんです。
 銀行は最初、住民票コードそのものを使って本人確認をしようとしたんです。それを日弁連が問題にして「総務省はOKを出したのか?」「出してない」というやりとりがありました。その結果銀行はずっとひいてしまって、住基カードも使わなくなったわけです。
 住基カードを身分証明書に使うということは、それ自体はどうということはないのです。住基カードを身分証明に使う場合であれば顔写真と住所と名前で確認して「同じ人ですね」ということだから「住民票コード」は使わない。ほかの運転免許証や健康保険証と同じように使うのはかまわないのです。ところが銀行協会が最初にやろうとしたことは、11桁の「住民票コード」で本人確認をすることだった。銀行協会の中で「住民票コードで本人確認ができる」と言ってしまったものだから、日弁連が問題にして総務省も「そんなことはない」と国会で答弁したわけです。そんなことで住基カードそのものを銀行では使えないことにしてしまった。
 そういうことになったのは、西東京市で行政不服審査請求をした597人だけの力ではないにしろ、やっぱり住基カードを持たせることにクレームがつきそうだという不安感を与えていることはまちがいないです。サービス業は、やっぱりクレームがつくことはなるべくやりたくない。だからこういうことになっているのは、運動の成果なのです。


Q.住基カードが郵便局でも使えないのはなぜ?
 郵便局の窓口でも使えませんね。住基ネットと同じ総務省の管轄なのに、なぜですか?

A.郵便局の窓口でも使えないのは、住基カードの身分証明書には市町村の「公印」が押されていないためだという話を聞いたことがあります。でもそれはある種の口実だと思います。実際には、総務省の中にも部局によって、住基ネットに対する考え方、評価が大きく違っているためでしょう。
 先ほど清水さんから、総務省の研究会が総務省の政策を痛烈に批判するレポートを出しているというお話がありました。同じようなレポートは、実はそのほかにもあります。たとえば『地方公共団体の情報セキュリティ監査のあり方に関する調査研究報告書』というものが、昨年12月、やはり総務省から公開されています。
 そうすると、今郵便局の話がありましたが、総務省の中でも旧自治省系の市町村課があまりにもひどいものをつくって自治体に押しつけちゃった。セキュリティの考え方なんか、完全に世間常識じゃないものを押しつけたわけです。ある時みんなでいっせいにつないじゃえば「怖くない」というのが住基ネットの接続だったのですが、それが「一番怖いやり方」だということは、セキュリティについての世間常識、専門家の共通の認識なんですね。プライバシーについても同じようなものです。だから総務省の中にも、「それじゃだめだ」という報告書がプライバシーについてもセキュリティについても出てき始めている。「住基カード」も、口実があればはっきりと「使わない」と言っているわけです。
 先ほど清水さんが紹介された『住民のプライバシーの保護に関する新しい考え方と電子自治体におけるそのシステム的な担保の仕組みについての研究会報告書』というのは、伊藤穰一さんやタカマ・ゴースケさんのような方ががんばって、国の側から市町村課・住基ネットを包囲する体制のひとつをつくっているものだと思います。同じように、『地方公共団体の情報セキュリティ監査のあり方に関する調査研究報告書』は、東京・国立市の『国立市住民基本台帳ネットワークシステム調査研究報告書』を書いているお二人の方――日弁連の稲垣隆一弁護士とIBMビジネスコンサルティング サービスという企業の技術者である大木栄二郎さん――などががんばって書いたもので、やはり明らかに、住基ネットを国の側で包囲する体制をつくっています。
 で、私たちの裁判は、そういう意味で言うと、住基ネットを押しつけられた自治体・住民の側から、市町村課・住基ネットを包囲して行くものだと思うわけです。そういう国の側と自治体の側からのサンドイッチ構造をつくるものですね。だからこれは、清水さんがおっしゃるような意味で「勝てる」裁判だという展望があると思っています。(西邑亨)


Q.住基ネットを推進してる人たちの、本当の意図は?
 住基ネットを強引に推進しようとしている人たちの意図を、どんなふうに理解したらいいでしょうか?

A.日本の政治のやり方をずっと見てきたものからすればとても明らかなことですが、住基ネットも、従来の「ハコモノ行政」に代わるものでしかないのです。「住基ネット」を推進しようとしている人たちにすごい政策があって、「これで国民全体を統合しよう」なんて考えているのかといえば、彼らにはそういう責任感もなければ能力もありません――実は、だからなおさら危険ともいえるのですが......。
 独裁意欲のあるヤツというのは、それなりに努力をするんです。人間全体を管理しようと思うやつはそれなりの策を練って、法制度もきちっとつくって、完璧を目指します。ところが住基ネットはそうじゃない。従来の「ハコモノ行政」にはいろいろと批判が出てきたから、新しい時代に合った「ハコモノ行政」をつくろうということでやったのが「住基ネット」――それだけなんです。だからカラッポなんですね。その無責任ぶりがかなりはっきりしているから全国の自治体は従いたくない。
 先ほど「だからなおさら危険」と言いましたが、住基ネットの危険性って何かというと、差し止め訴訟の後藤弁護士や斎藤貴男さんの言っていることとは違う意味で、「責任もってちゃんと管理されていないことの危険性」なんだと私は思っています。しかもそれは、管理ができない。住基ネットは管理ができないようにつくられてしまっているのです。管理ができないものについては、情報を集めない、情報をくっつけないようにする――これは伊藤穰一さんや私の共通認識です。


Q.地方自治情報センターってどんなところ?
 (財)地方自治情報センターというところは、具体的にはどういう人たちが集まっている組織なんでしょうか?

A.地方自治情報センターは、旧自治省の天下り機関(外郭団体)です。で、技術者として働いている人が50〜60人いたと思いますが、その人たちはちゃんとした技術者たちですね。もちろん政策を推進していかなければならない立場なんで、問題点について公にはっきりしゃべることはありませんが、いわゆる政治家とも官僚とも違う人たちです。
 だから、技術的な話として「ここが問題だ」と指摘すれば、「うーん、そうなんですよね」と、非公式の場ならわりとちゃんと受け答えしてくれる。
 でも公の場の政府答弁になると、「住基ネット侵入実験とはなにごとだ!」とぜんぜん変わってしまうわけですが......。地方自治情報センターの上のほうの人たちはともかく、技術者たちはまあ、ふつうです。


Q.住民票コードの抹消は確認できないのでは?
 お話を聞いていると、この制度はもうなくなる、勝っているみたいにも聞こえるんですが、でも、国民に番号をつけたという事実はあるわけです。だから、「番号を抹消してもらうために提訴することにした」としていますが、実際にコードが抹消されたかどうかを立証してもらえないんじゃないでしょうか?

A.個人の情報の削除については、ご指摘のように、私も信用できないと思います。センターが抹消しますよと言っても、「それはほんとか?」と疑いますね。ではどうしたらいいか?
 答えは簡単なんです。番号はつけられたけど、その意味がなくなればいいのですね。
 住基ネットは毎日更新するところにこそ意味があるんです。だから、引っ越す、結婚して姓が変わる......そういう情報が通知(更新)されなくなってしまうと、本人確認情報として価値がなくなってしまいます。
 住基ネットは、一人でも移動があった場合はそれが毎日毎日更新されるという仕組みです。ところが、ある自治体についてはそれがまったく更新されない、1年前、2年前とまったく変わらない――矢祭町や国立市の人たち、杉並区や横浜市の「参加しません」と言った人たちについては、すでに番号はついていてセンターに送られているわけですが、でも、地方自治情報センターが管理している本人確認情報は一人も変わっていない。それって、現実にはあり得ないことですよね。引っ越しもしない、結婚もしない、死んでもいない、生まれてもいない......ということはあり得ないんです。
 そうなると、コンピュータが管理している情報というのは全部が使いものにならなくなる。
 自治体が切断してしまうと、次の日から新しい情報が行かなくなる。そうなれば、そこの住民でいる限りは、もう住基ネット上でわからないので本人確認情報としては使えないんです。番号を含めて全部が使えなくなります。ある日西東京市が「今日から送りません」と言って切断すると、その日から西東京市全体の本人確認情報は意味がなくなる。番号は一度振られたけれど、切断以後機能しなくなるのでそんなもの持っている意味がなくなる。
 そういう自治体があちこちで出てくれば、住基ネットという仕組み全体が穴ぼこだらけになってしまうので、住基ネットそのものが廃止になる――という仕掛けです。
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■まとめ

●自治体職員のためにも、がんばっていきたいな
 私は今まで、行政に対立するような感じでいろいろ運動をしてきましたので、そのクセがなかなか抜けません。でも、この裁判の性格はずいぶん違っていますね。
 私が2度目に異議申立書を持っていって市の窓口担当者と話し込んだとき、職員も住基ネットがよくないということは重々承知で悩んでいるのが分かりました。部長さんも何かの拍子で会ったときに、「また柳田さんとやるんですね」という話になって、
 「住基ネットは、もうやめたほうがいいんじゃないですか?」
 「よくないってことは分かっているけど、上がねぇ...」
となるわけです。市長は、決まったことあるいは総務省がやれと言ったことを、唯々諾々とやってる。判断がつかないからやっているのだと思うのですね。
 ですから市民の側で、「これはこういう問題があるんですよ」と言ってあげる。市長の判断を助けてあげる――市民が市長を、後ろからちょっと押してあげる、決断させてあげる。そういう裁判にすればいいのかなという理解に、ようやっとたどり着くことができたようです。
 実は、3月末ですが、この裁判ができるかどうか分からなくて悩んでいたことがあるんですね。そのときに市の担当職員の方にたまたま会いましたところ、当然裁判をするんでしょうという話をされて驚きました。ああ、自治体の職員も、自分のやっていることを司法の場できちんと判断してもらいたいと期待している、そういう気持ちが伝わってきました。
 この裁判は、そうした自治体職員のためにも、がんばっていきたいなと思います。
柳田由紀子(取り消し訴訟原告・国賠訴訟原告)


●住基ネットを穴ぼこだらけに!
 要するに、西東京市が切断できるような環境をつくりましょう、ということだと思います。それが全国でいくつもできれば、それこそ「穴ぼこだらけの住基ネットは使いものにならない」ということになる。そこを目指すという展望があるので、楽しい気分でこの運動をやっていけるかな、と思っています。
小崎令子(「住基ネット訴訟・西東京の会」事務局長、国賠訴訟原告)

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