意見陳述−樋口大貳

2003.7.10 東京都庁第一本庁舎25階115会議室

地方自治の原点に戻って、憲法に恥じない法の執行を

樋口大貳(申立人)

 パソコン雑誌の編集をしておりましたが、きょう言いたいのは技術の話ではございませんで、住基コードの付番そのものが、人間の尊厳を傷つけるということを申し上げたいと思います。

●人間を通し番号で管理するということ

 生身の人間、名前を持つ人間を11桁の番号化して管理する。行政にとっては都合がよろしいのかもしれませんが、少なくとも私にとっては屈辱であるし、さらに、それと引き換えに得られる利点も何もありません。

 こういう言い方をするとよく反問されますが、「番号なんて運転免許にもあるし、保険証にもあるではないか、単なる符牒にすぎないのだから、気にするほうがおかしい」ということをよく言われます。しかし、住基コードは免許証や保険証の番号とは全く意味が違うわけです。免許証の番号は、免許証という証明書に対して割り当てられた番号であって、あくまで人間そのものにつけられたものではありません。保険証も同様に、それは保険証の番号であって、保険証所持者の番号ではないわけです。

 公的でない番号というのもたくさんあります。たとえば社員番号、社員コードというものがあり、私も自分の勤めている会社で番号を持っています。しかしこれも、社員であるという「身分」について付番された番号にすぎないわけですから、会社の外側にある私の人格にはなんらかかわりない。今ここでこうしてしゃべっている自分にはまったくかかわわりがないことです。仮に会社が社外の活動に対してまでその番号を使って管理を及ぼすという労務管理を行ってくるということであれば、そしてそれが容認できないという判断をもし私がすれば、会社を辞めるということができます。常にそういう選択肢があるわけです。

 しかし、住基コードはどうか。すべての国民に全員もれなく付ける。これは、人間そのものを番号化する企てにほかならないと思うのです。これは、ほかの番号と意味も性格もまったく違います。現に私は運転免許証を持っていませんから、免許証番号もありません。引っ越せばいいわけですから、個々の自治体から離脱することはもちろんできますが、日本国民であることからはそう容易には逃れることはできないわけです。住基コードは本人の意思にまったくかかわりなく、一人残らず全国民を番号化しようとする。しかもその番号を使った住民基本台帳は、運転免許を管理するわけでもないし、保険の管理ではない。要するに、それによって公権力は個人の出生から死亡までを管理できるわけです。まったく意味が違う。運転免許証だの社員番号だのを引き合いに出す議論は、公権力が強制的に付番することの意味がまったく無視するもので、わかっていないのかもしれないと言うしかありません。


●住民の利便性が目的というのなら

 これに対して国は、あるいは西東京市もそうですが、住基ネットには4情報しかない、それはプライバシーではない、住民票を閲覧して見られる情報と同じだから、従来の住民票とかわりはないじゃないかというのは、とんでもない。確かに従来の住民票は単なる生年月日や居所の確認の役目しか果たしてこなかったわけですが、これに一つもダブりのない番号をつけるということが重要なわけで、それをキーコードにすれば、行政があっちこっちの分野で持っている──それこそ運転免許もある、保険もある、税金もある、ひょっとしたら図書館のカードや、病歴もあるかもしれない──ありとあらゆる個人情報が統合管理できることになるわけです。いや、そういうつもりはない、そういうことを意図していないと言うかもしれないが、それが可能であるということが重要なわけです。住基コードは、文字どおりの国民総背番号制にほかならない。生活のあらゆる領域において、つまり行政がわれわれのあらゆる領域をカバーしているのですから、その行政の管理の徹底化を避けがたく招くものであるわけです。

 もし総務省や西東京市が宣伝するような住民にとっての「利便性」がこのシステムの目的だというなら、希望者だけが参加できるようにすれば何ら不都合がないわけです。選択制を実施している横浜市が参加希望者だけの情報を送信したところ、総務省がいったん、これを受け取らないという方針を出しました。「全員の参加が前提でなければ受け取れない」というのですが、本当に利便性が目的であれば、入りたい人の情報を受け取らない理由がないわけです。全員参加でなければいけないとここまで拘泥することは、利便性以外に真の別の目的があると考えなければ、辻褄が合わないわけです。


●憲法違反の法律を執行する責任は市にある

 これが、私が住基ネットは憲法違反であると考えている理由です。個人情報は本来、その人のみに属するもので、住民基本台帳に記載された個人情報を本人の同意もなしに勝手に都やその他の外部機関に提供し、ましてや一人一人に強制的にコード番号を付番して国の機関に準ずる地方自治情報センターがこれをトータルに管理することは、自己情報のコントロール権、個人の尊厳、いわゆる人格権ということで定めた日本国憲法第13条に違反するというのが私の考えです。

 こういう主張に対して、西東京市は弁明書において、これは国で決まった法律だからその法律をいちいち違憲だとか合憲だとかは考えないという主張をしている。これは反論書にも簡単に論じたところですが、住民基本台帳事務は自治事務として、市町村が独自の責任のもとで執行する事務なわけです。もちろんこんなことわかっているはずですが、住民基本台帳法が国会で成立したからといって、それに基づく執行によって人権侵害が発生した場合、責任をとるのはだれか、責任主体はだれかといえば、国会でも政府でもなく市です。仮に裁判にでもなった場合、市は「総務省の指示どおりやったので、われわれに責任はない」という主張を本当にするつもりなのか。これは考えられないことです。


●個人情報の無断又貸しは条例違反

 今までるる述べてきたとおり、私は、情報漏洩が危険だとか、事故があったら困るということよりも、行政による情報の集中管理自体が問題であるという認識です。それをあえておくとしても、市が市民の権利、安全を保護するために万全の施策を講じるという立場に立つとすれば、やるべきことは、実はセキュリティ対策ではないと思うわけです。市がいくら完璧なセキュリティ(体制)を構築して、事故や不祥事が本当に100%ないとしても、いったん市が東京都に情報を出す。そこからまた地方自治情報センターに送信してしまえば、情報はすでに市の手を離れて市の責任の及ばないところにあるわけです。これは、市民から預かった個人情報を無断で又貸ししているというわけです。「うちの金庫は絶対破られない」といくら言っても、品物はすでにその金庫にはなく、別の家の別の金庫に入っている。しかも、それが国じゅうにある。「ウチの金庫」がいくら頑丈かと市は反論書においる主張していますが、これはもはや安全性とは何の関係もない話です。

 反論書にも書きましたが、市の定めている市の個人情報保護条例にも違反していると私は考えます。市の主張は(個人情報保護条例)10条2項において外部提供できると書いてあるではないかと言いますが、その10条をよく読むと、すぐあとの10条4項で、10条2項に基づいて外部提供するときはかくかくしかじかの措置をとらなければならないという条件が付されています。10条2項があるから自動的にしていいよというふうにはなっていないのです。しかし、その10条4項に書かれている義務を市が果たしているのかということを質問したところ、市は、法律で決まっていることだから何もしていませんと答えています。これは、条例を守っているとは言いがたい態度です。


●自治体は住民の利益を守るという一点に立ち返れ

 とすれば市のなすべきことは何か。住基ネットからの離脱、あるいは少なくとも個人情報の真のそして唯一の保持者であるところの本人の同意なしに強制的に住基ネットに情報を送信することを中止することではないのか。現にそのような判断を示している自治体がいくつかあります。

 そうした自治体は、独自の判断によって(住基ネットへの)参加を見送ったり、または本人の選択を認める措置をとっています。これはあとで別の方からお話があると思いますが、住民基本台帳法36条の2に照らして、完全に合法であるわけです。もちろん、政府の解釈はまた別だろうと思いますが、少なくとも離脱した自治体の側からはそのように解釈できるのです。

 つまり、法の解釈というのは必ずしも国と自治体は一致するとは限りません。地方自治法によって国と地方自治体は対等平等の関係にあることがはっきり確認されています。ですから、自治体は住民の権利と安全を最大限擁護するという一点だけに立脚し、臆することなく、国であろうが都であろうが、堂々と論陣を張ればいいわけです。しかし、市の弁明書を読むと、そういった法の解釈権をあらかじめ放棄している。こういった(西東京市の)弁明はその意味でも情けないと言わざるを得ません。

 先日、長野県が県単位での離脱に踏み切る可能性が出てきたことで、総務大臣の片山さんが「住基ネットは市町村の事務なのに、頭越しに県が決めるのは違法だ」ということを言いました。語るに落ちるとはこのことでして、市町村の事務であることに、なぜ総務大臣ごときが指図できるというのか。住民基本台帳事務の執行については、片山大臣はなんら当事者ではないわけです。われわれ西東京市民にとっては、保谷高範市長だけが責任当事者です。つまり、市長の判断次第で、どのような措置も法の範囲でなされるわけです。私たちは、市長の英断を望みたいと念じて異議申し立てを行ったわけですが、今こうして審査請求という場まで来てしまいました。しかし、今からでも遅くはないので、地方自治の原点に返って、憲法に恥じない法の執行を強く望みます。

 最後ですが、違憲か合憲かという点について、さる高名な憲法学者に相談いたしましたところ、この種の係争で憲法を持ち出した瞬間に行政側の態度が弛緩することが多い、だからあまり憲法を持ち出すのは得策ではないということを聞いてしまいました。つまり、行政の側からすると個別具体的な権利侵害がないので、理念的に憲法にすがるしかないのだ、これは大したことないやと感じて、なめてかかってしまうということが間々見られるというわけです。このようなことがもし事実であれば、大変おかしな事態であるし、本当に憂慮すべきことだと思います。法治国家にあっては、憲法に基づかない法律や行政は一切が無効であるはずです。それを書生論であるかのように一蹴するというような風潮がもしあるとすれば、それは法治国家そのものの否定にほかならないわけです。ですから、住民基本台帳法の違憲性についても改めて真剣な検討をお願いしたいと考えています。